ひきこもり中学生と近所の双子(♂)が虹を探しに行く話
『子供』というものはいつでも純粋で、――残酷だ。
逃げ回るトカゲの尻尾をハサミで切るのも、行列を作るアリを指で潰すのも。
分別のついてきた『大人』ならともかく、まだ発育途中の『子供』は、それでも可愛らしいと許されてしまう。
された方からすれば、それは死に繋がる事だとは考えられないのだろうか。
『子供』はその濁りのない瞳で、
目を背けたくなるような惨劇を見せてくれる。
arucs
断続的に続くのは、小さな雨粒が窓ガラスを叩く音。
このところはずっと雨で、空もどんよりと曇っている。
洗濯物は溜まる一方で、雨が止んだとしても太陽はなかなか顔を覗かせない。
上から下へと落ちてくる水滴は、地面をいたずらに緩くするだけだ。
(今日の体育って外だっけ?)
つう、と雨粒が窓ガラスを滑るのを見て思う。
何日か前にまとめて買って来た『非常食』の空袋をゴミ箱に投げ入れ、冷蔵庫から引っ張り出してきたジュースで口の中に物を押し流すと、机の上に錯乱した紙の中から一枚の紙を引っ張りだす。
その紙に引きずられて何枚かも床に落ちるが、それは無視だ。
紙面には手書きの大きな時間割表があって、科目名の隣に準備物が細々と書かれている。
その中から『体育』の文字を追っていくと、案の定今日は外らしい。
どうせこの雨だし、もし運よく晴れたとしても、グラウンドは水浸しで使えるわけがない。
体育館で授業をするか、教室で自習でもするのだろう。
どっちもだるそうだ、と溜め息と共に机の山の中に再び紙を戻す。
「…今日も学校行かなくて正解だな」
くあ、とあくびを一つして、本棚から本を取り出し、ベッドに仰向けに寝転がる。
そのままの体勢で本を支えて、ぱらぱらとページをめくっていった。
今日は平日、水曜日。振り替え休日でなく祝日でもない。
中学二年生、日高諒は登校拒否で欠席だ。
理由はというと、曰く、小学校の時にイジメにあっていた、曰く、担任と仲が悪い、曰く、異様に頭が良いので来る必要もない、だとか、色々クラス内で噂は飛び回っているらしいが、全てはずれだ。
小学校は普通に卒業したし担任とも別に不仲なわけではない。
頭は悪い部類に入るだろう。
実際の理由はいたって簡単。
『面倒だから』。
一年のときは普通に学校に行っていた。
だが毎日まるで役に立ちそうにない事を教えられるばかりで、非常に退屈で、二年から始業式に行ったきり一度も制服を着ていない。
やりたい職業もなく、行きたい高校もない。
一人でいることの苦痛もない。
そういうわけで、諒はずっと学校に行っていなかった。
寝返りを一つ、今度はうつ伏せになり、やっと本の世界にのめりこむか、という時、
「りょーちゃーん!」
騒音のような耳を突く声が家中に響く。
体を起こすのも面倒で、諒はそのまま本を読み続けた。
一行を読み終える頃、狙ったように「りょーちゃーん!」と声が聞こえる。
その一行後も、その後も。
声は段々と近付き、パタパタという足音が聞こえていた。
まるで集中出来無い、と諒は渋々本を閉じる。
それとほぼ同時に、勢いよく諒の部屋のドアが開いた。
「やっぱりりょーちゃんいたー!」
「やかましいわッ!」
ドアから出てきたさっきの声の主に一喝してから、諒は相手の姿を確認する。
まず目に付くのが真っ赤なレインコート。
諒の一喝にまるで動じていないのか、顔には笑みが張り付いたままだ。
「諒ちゃんおはよー」
「『おはよう』じゃなくて『こんにちは』だ。っていうか人ん家に勝手に入り込むな。不法侵入だぞ」
「んー、まあ諒ちゃんだからオッケー」
「良くない。せめてカッパは脱いで来い、床が濡れるだろうが。あと諒ちゃんも止めろ。苗字で呼べ」
「苗字なんだっけー?」
「覚えてないのかよ。日高だ、日高」
「じゃー日高っちー」
「……もう諒ちゃんでいい」
その雨粒の残ったレインコートのまま、少年は部屋でくつろぎ始める。
床は当然濡れた。
「――ところで蒼太」
大急ぎで少年――蒼太のレインコートを脱がせてたたみ、濡れた床を拭きながら諒はふとした事に気がつく。
それはちょっとした、違和感。
「紅平なら外にいるよー?」
聞くよりも早く、蒼太は答えた。
「…なんで?」
「なんかねー、勝手に入ったら怒られるとか言ってたー」
「……ふーん」
ごっ、とまるで学習能力のない蒼太に拳を一つ落としてから、諒は部屋を出る。
階段を降りて玄関に着くが、そこには脱ぎ散らかした赤い長靴以外、何もない。
靴箱の中から適当な靴を取り出すと、足に引っ掛けて玄関のドアを開けた。
「あ、諒ちゃん」
と、小さな声がすると、数秒送れてチャイムの音が後ろから聞こえた。
見ると、真っ青なレインコートを着た紅平がインターホンを押していた。
「何してんだ?」
「だって、人のおうちに入るときはピンポンしてから入るんでしょ?」
確かにこの前勝手に入ってきたときそう教えたが、その家の人がドアを開けたのにチャイムを鳴らす理由が分からない。
「紅平、どしたのー? 早く入りなよ」
諒が疑問符を浮かべたままにしていると、ぺたぺたと足音がして蒼太が出てくる。
レインコートは脱いでいるが、服は赤系統のもので統一されていた。
蒼太の呼びかけに紅平は返事をすると、レインコートを脱ぎ、長靴もそろえて脱ぐ。
ぺたぺたと歩いてきた蒼太に手を引かれ、二階へと上がっていく。
全くと言っていいほど似た顔が二つ並ぶ。
言わずもがな、蒼太と紅平は双子だ。
それも親が色にちなんだ名前を付けたのが原因か、蒼太は赤、紅平は青を好んで着る。
おかげで呼び間違える事は滅多にないが、一卵性双生児なので顔はどちらも同じ、同じ制服を着てどちらも黙っていると分からないかもしれない。
「お前ら今日学校は?」
階段を上がりながら、部屋でくつろいでいるらしい二人に言う。
「諒ちゃんはー?」
「うるせぇ」
「今日は建設記念日でお休みなんだよ」
へぇ、と適当に相槌を返して、再びベッドに横になって本を読み始める。
紅平も蒼太も各々が気に入った場所で好きにするのが休日の恒例行事だ。
わざわざ諒の家に、それも諒の部屋に来て遊ぶ理由は知らないが、追い出すと諒の親から説教をくらうのは経験済みだ。
隣とは二人が生まれる前からそこそこの付き合いがあり、生まれてからは良く面倒をみさせられた。
慣れている、と言ってしまえばその通りだ。
だが、今日はいつもとは違うらしい。
「諒ちゃーん」
突然、ベッドが揺れる。声に視線をやると、蒼太がベッドに飛び乗っていた。
紅平はというと、ベッドの近くに立っている。
「…んだよ」
「お外行こー」
「面倒だから断る。大体雨降ってんのに何すんだよ」
「虹を探しに行くの」
はぁ? と眉間に皺を寄せると、もう一度紅平が言う。
「虹を探しに行くの」
「ね、諒ちゃん、行こー」
どうやら聞き間違いではないらしい。
この双子は、この雨の中で虹を探すらしい。
確かにホースから出した水しぶきや、噴水などに虹が見えるときがあるが、それは晴れた日に限られる。
ましては今日は雨。一体どこにあるというのだろうか。
「今日は虹出ねぇよ」
「でもねー、宿題で出たのー」
「虹を探して来いってか」
「あとねー、写真も撮らないと行けないんだけどー、お母さんカメラの使い方わかんないからー、諒ちゃんに撮ってもらってってー」
「カメラはこれだよ」
紅平が自分の鞄からカメラを取り出すと、押し付けるように諒に渡す。
今までの経験上この二人に何を言っても意志を変えた事はほとんど無い。
その上、今回は宿題と言う裏づけまである。
これだと家に帰る時間になるまで居座りそうだ。
諒は溜め息をつくと、のろのろと体を起こした。
「…あー、虹はお前らで探せよ。俺はついていくだけだからな」
「やったー」
紅平と蒼太はいそいそとレインコートを着なおす。
渡されたカメラはずっしりと重かった。
目の前を赤と青の傘が歩く。
その後ろをついて行きながら腕時計を見ると、家を出てから既に一時間ほど経っていた。
虹は当然見つかっていない。
「おい、あったかー?」
いつの間にか立ち止まって誰かの家を覗きこんでいる二人に、諒は声を掛ける。
どこに虹が出来るか、と言う目星は一応つけているらしく、さっきからその場所へ向かうが、当然どこに行っても雨だ。虹などとは程遠い。
「うー、ないー」
頬を膨らませて、蒼太が言うが、紅平はもう次へと向かっているようで、青い傘が少しずつ遠くなる。
慌てて追いかけ、隣に並んだ。
「…まだあるのかよ」
「次で最後だよ」
無いだろうがな、と言う言葉は飲み込んで、やれやれと足を進める。
やがて道は坂になり、目の前には百が近い数の石畳の階段が伸びる。
次の日は筋肉痛になりそうだと思いながら、二人の二倍の時間をかけてのぼりきった時には、巨大な鳥居が見えていた。
「神社…?」
「うん。ここの滝にね、虹があるの」
息を整えつつ呟いた声に、紅平が答える。
蒼太を探して辺りを見渡すと、二度折れ曲がり、階段の下からでは丁度死角になる場所に、またも新しい階段が繋がっていた。
どうやらその階段の上らしく、紅平もさっさとのぼってしまう。
距離は短くなったのにさっきよりも時間をかけてのぼりきった時には、滝が落ちる低い音がかすかに聞こえてきていた。
「こっちー」
かなり先で大きく手を振る蒼太のところへ歩く。
進むにつれ音は大きくなり、そのうちに振動までもが伝わってくる。
ずっと一本だった道の分かれ目を右に進むと、いよいよ音が大きくなる。
「着いたよー!」
角を曲がったところで、一気に視界が開ける。
腹の辺りに重たく響く振動を感じながら、諒はしばらく固まっていた。
一度、ここの滝は見に来たことがある。
かなり前のことだったが、その時は祭りだったのか人混みで喧騒以外何も聞こえなかった。
こんなものかと思ってさっさと帰ったのだが、今は、
「…ぅ…、す………」
普通の声で呟いた、自分の声さえも耳に届かない。
赤いものが視界を端を過ぎって、諒は我に返った。
蒼太と紅平が何かを話しているが、滝の音が強くてまるで声は聞こえない。
話し終えて、二人はゆっくりとこちらに近づいてくる。
どうやら岩肌に水が散って滑りやすくなっているらしく、『足元注意』という看板があった。
そこまで慎重にしなくとも二人は長靴を履いているのだからそう簡単に滑りはしないだろうが、やっとこさ諒のところまで来ると、しゃがめとジェスチャーした。
「虹ねー、なかったのー」
腰を下ろし、蒼太の声を間近に聞いて、諒はやっと本来の目的を思い出した。
虹を探すためだった、と辺りを見るが、どこにもそれらしいものは見られない。
「でも……かくここ…で……から、写真撮っ…?」
紅平が言うが、滝の音で少ししか聞こえない。
それでも大体の意味は分かったので、だりぃ、とだけ呟いた。
しかし呟いただけのそれが届くはずもなく、二人は滝を背中に向けて並ぶ。
ここまで来てしまえば、大声を出して断るほうが面倒だった。
諒は傘を肩にはさんで体が濡れないように固定し、カメラを構える。
レンズから覗いた景色は、暗い岩肌の滝に、モノトーンの空、雨を受けて雫を落とす広葉樹の葉と、蒼太と紅平の鮮やかな赤と青の色。
耳元では、雨が傘を叩く音が延々と響いていた。
ピントを合わせ、ボタンに添えた右の人差し指に力を入れようとしたその時。
耳元の音が、止んだ。
カシャ、と軽い音を立ててシャッターが下りる。
デジタルでないカメラでは撮った写真の出来栄えを見ることも出来ないが、慎重に入れ物しまって立ち上がる。
「帰るぞ」
撮り終えて、滝壷の水に手を突っ込んでいる二人に、諒は出来る限り大きな声を出した。
「……ッ!」
次の日、当然のように筋肉痛になった。
それも一日で治ることなく、じりじりと続いて数日が経った。
いつも通り、学校に行くこともなく家でのんびりしていると、不意にチャイムの音が響いた。
上りよりも下りるほうが痛いのに、とぶつぶつ言いながら、諒は一階までたどり着く。
インターホンの受話器を取ると、はい、と自分でも分かるほどぶっきらぼうに言う。
『すみません。隣の神崎です』
神崎、と言うのは蒼太の紅平の苗字だ。
普段呼ぶ事はまず無いので、時々忘れそうになるが。
「あぁ、はい。今開けます」
受話器を置いて玄関に向かう。
サンダルを足に引っ掛けて出ると、腹の大きな女性が立っていた。
「こんにちはー。うちの子供がいつもお世話になってます」
「いや、別に。――次の子、ですか?」
腹を見ながら言うと、彼女は照れたように笑った。
「うん、女の子なんだよ。生まれるのは再来月かな」
双子だけでも大変なのによくやる、と考えつつ、大変ですね、と諒は答える。
にこり、と彼女は笑った。
「あ、この前一緒に神社まで行ってくれたんだってね。写真撮ってくれたみたいだから、焼き増しして持ってきたんだけど」
「はぁ、それはありがとうございます」
「懐かしいなぁ。日高さんと一緒に遊びに行ったら、諒君ずっとカメラ持ってたよねー。相変わらず写真撮るの上手だね」
はい、と封筒を渡されて、あまり気乗りしなかったが受け取る。
中に入っていた写真は一枚だけのはずだったのだが、思っていたよりも分厚い。
中を見てみると、他にも違う写真が何枚か入っていた。
取り出して見てみるが、見覚えは無い。
ただ、今よりずっと幼い蒼太と紅平が写っていた。
「…なんですか? これ」
「ああ、それね。諒君が昔に撮った写真よ。ずっと渡そうと思って避けてたんだけど、結局渡すの忘れてたから入れたの」
その後、彼女は十分ほどいろいろと話すと帰っていった。
妊婦がずっと立っているままで良いのかとも思ったが、彼女は話し始めるときりがない。
いつもなら三十分近く話すのだから、今日はまだ短いほうだ。
ベッドに仰向けになって、渡された写真を一枚一枚見る。
そのほとんどが紅平と蒼太で思わずげんなりしたが、恐らくその頃は二人の面倒を見させられるばかりだったのだろう。
最後の一枚、と、見て。
「………………………………………………………………、は?」
思わず体を起こして、しっかりと見る。
目をこすったり、瞬きをしたりしてみるが、写真は全く変わらなかった。
「………」
ぱさ、と写真を封筒に戻して、机に聳える紙の山の上に置く。
ベッドに勢いよく寝そべると、反動で軽く体が浮いた。
ぎし、とベッドを軋ませて立ち上がり、部屋を出て物置部屋に向かい、奥の奥にしまいこまれた箱を取り出した。
何年ものほこりを被ったそれは、ずっしりとした重みがあったものの、不思議と手に馴染んだ。
部屋に戻り、箱の蓋を開けると、真っ白な紙にでかでかと下手糞な文字が走っていた。
それを見て、諒は苦笑する。
『子供』というものはいつでも純粋で、――残酷だ。
ずっと昔、本人でさえも忘れていたものを、思い出させてしまう。
それが苦いものであっても、関係なく。
最後の写真は、この間諒が撮ったものだった。
雨の音が消えたと感じたのは、気のせいではなかったらしく。
不意に切れた雲の隙間から澄んだ青が顔を覗かせ。
木漏れ日の中、蒼太と紅平の頭上に。
一瞬だけの、虹が写っていた。
紙を床に置き、中身を取り出して首に紐をかける。
適当に身支度をすると、迷わず玄関に向かった。
いつの間にか、雨は上がっていたらしい。
靴を履き、諒は外に出る。
鍵をして大きく足を踏み出すと、ぱしゃん、と水溜りの水が跳ねた。
部屋の中には、一枚の紙が放置されていた。
その真っ白な紙には、太い油性マジックで世辞にも丁寧とは言えない文字が走る。
かめらまん に なりたい
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そんなあっさりと登校拒否されたら大変です
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